実年齢と生物学的年齢

DNAのメチル化とは、DNAに小さな化学物質(メチル基)が付くことで、特定の遺伝子の働きを弱める仕組みで、成長や老化、病気の発生に関わる重要な調整役です。体内のすべての組織で起こっており、特に、細胞の種類や機能に応じて遺伝子の働きを調整するため、肝臓免疫系の細胞などで重要な役割を果たします。また、発生過程や細胞分化の際にもDNAのメチル化が活発に行われ、組織ごとに異なる遺伝子発現パターンを作り出しています。DNAのメチル化がうまくいかないと、遺伝子のスイッチの調整が乱れ、必要な遺伝子が過剰に働いたり、逆に抑えられるべきでない遺伝子が抑えられたりします。この結果、がん、自己免疫疾患、発達障害、認知機能低下など、さまざまな健康問題が引き起こされる可能性が生じます。
 

エピジェネティッククロックとは?

エピジェネティッククロックとは、私たちのDNAのメチル化*(遺伝子に付加される化学的変化の一つ)を分析して「生物学的年齢」を測定する手法です。年齢を単にカレンダー上の年月で測るのではなく、DNAの変化によって体の老化や健康状態を反映した年齢を示すことが特徴です。DNAメチル化は遺伝子の「オン」「オフ」を調整し、成長や老化などに影響を与えるため、この情報を使うことで健康リスクや病気の進行度も把握できるとされています。


 Horvath's Clockの概要

エピジェネティッククロックの分野を切り拓いたのが、Steve Horvath博士です。2013年に彼が発表した「Horvath's Clock(ホルバスの時計)」は、DNAメチル化の状態を基に年齢を推定し、実年齢だけでなく「生物学的年齢」を測定できると話題になりました。生物学的年齢は、個人の健康状態や老化の進行を示すもので、年齢より体が若いか、もしくは老化が進んでいるかを判断できます。これにより、病気や生活習慣が年齢以上の老化を引き起こしているかどうかもわかるようになりました。


エピジェネティッククロックと健康リスク予測

Horvath's Clockは年齢を測るだけでなく、個々の健康リスクを予測するツールとしても活用されています。例えば、「DNAm GrimAge」と呼ばれるエピジェネティッククロックは、心臓病やがん、全体的な死亡リスクを予測することに長けているとされています。また、PTSD(心的外傷後ストレス障害)患者においては、生物学的老化が通常より早く進むことも示されています。こうした機能により、エピジェネティッククロックは単なる年齢測定にとどまらず、個人の健康状態のモニタリングやリスク評価に役立っています。


生活習慣がエピジェネティック老化に与える影響

エピジェネティッククロックは、生活習慣の改善によって生物学的老化を遅らせることが可能であることを示しています。最近の臨床試験では、健康的な食事、運動、睡眠、ストレス管理などの生活習慣改善が、DNAメチル化に基づく年齢を平均3.23年若返らせたとの結果が出ました。バランスの取れた食事や適度な運動、良質な睡眠を心がけることで、体の老化を遅らせ、病気のリスクも低減できると考えられています。この研究は、日々の生活習慣がエピジェネティックな老化にどれほど大きな影響を与えるかを示す重要な発見です。


エピジェネティッククロックの臨床応用と将来の可能性

エピジェネティッククロックの技術は、今後、個別化医療や予防医学で重要な役割を果たすことが期待されています。たとえば、個人の生物学的年齢を把握することで、従来の年齢だけでは気づきにくい健康リスクや潜在的な病気を早期に発見できるようになります。こうしたデータに基づいて、個人に最適な生活習慣の改善や予防策が提案される可能性があります。エピジェネティッククロックを活用することで、健康寿命の延伸と生活の質の向上が期待されており、予防医学や健康管理の新しいアプローチとして注目されています。

生物学的年齢は検査で測定することができます。実年齢よりも若い、老けてる、というのは見た目だけでなく体の老化スピードも個人差があるものです。この研究内容は年齢に関係なく、ヘルシーな生活をしていれば実年齢よりも若く入れることの証拠となる、希望を持てる内容ですね!もう歳だから、のフレーズは封印しましょうね。

日本における研究

日本でも、DNAメチル化の測定技術を用いたエピジェネティクスの研究や医療分野での応用が進んでいます。日本で一般的に利用されているDNAメチル化の測定方法には以下のものがあり、研究や一部の医療機関で実施されています。


1. ビスルファイトシーケンシング(Bisulfite Sequencing)

日本の研究機関や大学では、ビスルファイトシーケンシングが幅広く利用されています。この方法は高精度でDNAメチル化を詳細に解析できるため、がん研究や老化研究、精神疾患などの分野で、DNAメチル化のプロファイリングに使用されています。特に、がん細胞の特定の遺伝子領域のメチル化異常を検出するために使用されることが多いです。

参考機関

  • 国立がん研究センターでは、がんのDNAメチル化異常を解析し、がんの早期診断や治療法開発のための研究に応用しています。
2. メチル化特異的PCR(Methylation-Specific PCR, MSP)

メチル化特異的PCRは、簡便でコストも低いため、日本でも特定の遺伝子領域のメチル化状態を調べる際に多用されています。特に、乳がんや大腸がんなど、がんの診断や予後予測におけるバイオマーカーとしての利用が検討されており、臨床研究で広く用いられています。

参考機関

  • 順天堂大学慶應義塾大学などの医科大学でも、がん診断の分野でDNAメチル化を調査するために利用されています。
3. アレイベースのDNAメチル化解析(Illumina Infinium HumanMethylation450/850 BeadChip)

日本でも、Illuminaの450Kおよび850Kメチル化アレイが広く使用されています。この手法は、大量のデータを効率的かつ比較的低コストで取得できるため、エピジェネティッククロックの研究にも使用されています。Horvath’s Clockなどの生物学的年齢測定に使用されるほか、がんや生活習慣病の研究、老化の進行度の評価など、さまざまな分野で利用されています。

参考機関

  • 理化学研究所(RIKEN)東京大学では、450K/850Kアレイを活用して、加齢や疾患に関わるエピジェネティクスの大規模データを収集し、生物学的年齢の研究を進めています。
4. 全ゲノムビスルファイトシーケンシング(WGBS, Whole-Genome Bisulfite Sequencing)

全ゲノムビスルファイトシーケンシング(WGBS)は高精度なDNAメチル化解析が可能ですが、コストが高いため、日本では主に先端研究機関で実施されています。特に、がんの発生メカニズムの解明や、老化に伴うDNAメチル化変化の全体像を把握するために、限られた研究で利用されています。

参考機関

  • 京都大学東京医科歯科大学などの研究機関が、WGBSを利用してがんのエピジェネティクスや老化のメカニズム解明に貢献しています。

日本では、ビスルファイトシーケンシング、MSP、450K/850Kメチル化アレイ、全ゲノムビスルファイトシーケンシングなどが、がん研究、老化やエピジェネティッククロックの研究で広く使用されています。これらの技術は、疾患の予防や治療、健康状態の評価に役立つエピジェネティクスの理解を深めるために欠かせないものであり、今後さらに臨床応用が進むと期待されています。

 

まとめ

エピジェネティッククロック、特にHorvath博士の「Horvath's Clock」は、DNAメチル化の状態を使って生物学的年齢を測定し、個人の健康状態やリスクを予測する技術です。この手法により、日常の生活習慣が老化の速度にどのように影響しているかを把握でき、健康維持やリスク低減に役立ちます。エピジェネティッククロックの研究が進むことで、個人に合った予防策や治療法が提案され、健康管理の新しい基盤となるでしょう。

 
References
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